奈良のデザイン事務所、パーキーパット・デザインズ代表の前田です。
今回は、センスに関するお話です。「自分はセンスないから…」と落ち込んでしまう人にはそうじゃないよとお伝えしたいですし、依頼する側のお客様になる人には、「なんだセンスはそういうことね。だからこそプロに頼んだ方が良いのね」という意識を持っていただくキッカケになればと思います。
今回は少々、マインド寄りのお話になります。
まず「センス」という言葉ですが、簡単に表現すると「感覚」「思慮」「理解の仕方」などだと理解しています。よくある会話の「センスが良いorない」という意味は、「上手く考える感覚や思慮を持っているか否か」といったところでしょうか。
ここで、僕はセンスには2種類あると考えています。
1つ目は、生まれ持ってのセンス
2つ目は、努力で身につくセンス
この2種類です。そして一般的には1つ目の「生まれ持ってのセンス」について取り上げられることが多いように感じます。でも人生に多大に影響されて成長していくのは、2つ目の「努力で身につくセンス」の方だと思うんです。
この2つ目の「努力で身につくセンス」について記していきます。
とその前に、「生まれ持ってのセンス」についても言っておきたいことがありまして、このナチュラルボーンなセンスはもちろん無視できる存在ではありません。例えば、とてもふんわりした表現ですが、色を選ぶセンスが最大レベル10として、生まれ持ってレベル7だったら、それはとても役立つことは間違いありません。
でも、じゃあ生まれ持ってのセンスがない人は残念かというとそういうことは決してなくて、「努力で身につくセンス」でそれに追いつくor追い越してしまえばよいだけなんですよね。
厄介なのが、最大レベル10のところを、生まれ持ってレベル12の人やレベル30の人がいることなんですよね(笑)まー、そういうスゴすぎる人は別世界の人間だと認識して幻滅しないようにするのも大切です。
ここで「努力で身につくセンス」って何だという話ですが、努力という、やれば良いのはわかってるけど面倒なものがチラつくと、どうしても億劫になってきますよね。それはまだふんわりと「生まれ持ったもの」という意識が残ってるかもしれません。
ここでハッキリと言っておきたいことは、「センス=才能」ではありません。才能じゃなかったら何なのか、僕が答えるならば、「どれだけそれに時間を使ったかの結果」ではないでしょうか。もちろんどう時間を使ったかがとても重要なことは言うまでもなく、だからこそ結果というところがセンスと結びつきます。
などなどが、その結果へと結びつくのではないでしょうか。これらから繋がる結果、要は自身の経験や思考の結果の蓄積を「努力で身につくセンス」と言っても間違いではないだろうと僕は考えています。
そういった考えに落ち着くと、センスという言葉は、褒め言葉でしかないのではとも感じます。誰かが良いものに対してわかりやすく良いと伝えるときの便利な言葉「〇〇さんはセンスが良い」なんですよね。
だからセンスがないと嘆くのはちょっと待ってほしいんです。褒められるためにいろいろ工夫すれば良いんです。それができるかできないか、そこで難しいなら嘆くことも仕方ないかもしれませんが…。
例えば、デザインを扱っても、いろいろなところで工夫していけます。
上記のように光れる部分はいろいろあります。それらいろいろに挑戦してみる価値、絶対にあると信じています。
お客様と前述のような話になるとこういった返しが来ます。「センスの正体はわかったけど、そんな余裕は自社にはないよ」と。
だからこそ、プロがいるんですよね。その努力をしてきて磨いて磨いて磨いてきた確かな「センス」を信じてもらい、頼ってほしいのです。そう考えると、逆に生まれ持ったセンスだけでは不安な気もしませんか? プロである誇りって、そういうところからも感じられるかもしれませんね。
以上がセンスというものに関する僕の考えでした。
若手で駆け出しで成長に悩んでいる人は、「センス」という言葉から逃げたり、諦めたりしないでほしいです。謙遜であっても「私はセンスないんです」というのも使わなくてよいです。センスを身につける過程にいて、伸び悩んでいるのであれば、その過程を見直してください。
もちろん、覚悟や努力は必要です。努力しているけど「センスがない」と感じたら、要素の何が足りてないか探したら意外とすんなり解決することもあるかもしれません。大切なのは思考し続けることですね。
『私センスないから○○しない』という僕が嫌いな言葉…。これで若い人の未来が暗くなりそうなら、「センスは努力で身につくものだよ」と伝えます。嘘じゃありません。